立春、という言葉だけが先に来た

立春を迎えた日本の住宅街に差し込む、冬と春の境目の柔らかな光 エッセイと日常

暦の上では、もう春らしい。節分が終わり、立春を迎えた。 そう言われると、少しだけ気持ちが前を向くような気もするが、正直なところ、実感はほとんどない。 寒さはまだまだ続いているし、何かが劇的に変わったという感覚もない。

節分といえば、子どもの頃は家族で豆まきをしたものだ。 「鬼は外、福は内」と声を出しながら、部屋中に豆をまき、あとで年の数だけ豆を食べる。 今思えば、あれも日本らしい、どこか牧歌的な風習だった。

ところが最近では、節分といえば恵方巻が主役のようになっている。 コンビニやスーパーには大量の恵方巻が並び、黙って太巻きを丸かじりするのが当たり前になった。 いつの間にか、豆まきよりも、商業イベントの色合いが濃くなってしまった気がする。

しかも、毎年ニュースになるのは、売れ残った恵方巻の大量廃棄だ。 食品ロスという言葉を聞くたびに、何とも言えない気持ちになる。 節分は「福を呼び込む日」のはずなのに、同時に大量の食べ物が捨てられている現実。 何か、どこかで本末転倒なことが起きているように感じてしまう。

こうして節分の話を書いているうちに、気づけばフードロスの話になっていた。 自分でも、話がずいぶん横道に逸れているなと思う。 でも、たぶんこれも、今の日本の空気そのものなのだと思う。 伝統的な行事と、効率や消費を重視する社会とのズレ。 その違和感が、自然と文章の流れに出てしまったのかもしれない。

それでも、日本人は季節の変わり目を大切にする民族だと思う。 桜が咲けば春を感じ、紅葉が色づけば秋を感じる。 実際の気温以上に、「季節が変わった」という事実そのものが、心に影響を与えている。 暦の上で春になったというだけで、少しだけ未来に期待してしまう自分がいる。

そんな中で、世の中はまた選挙の話題で賑わっている。 ニュースを見れば、各党の主張やスローガンが飛び交い、何が正しいのか分からなくなる。 正直なところ、理想論ばかりが並んで、現実との距離を感じることも多い。

季節は確実に前へ進んでいる。 だが、人の気持ちや社会の空気は、そう簡単には切り替わらない。 春になったからといって、すぐに希望に満ちるわけでもないし、問題が消えるわけでもない。

それでも、立春という言葉を聞くと、やはりどこかで「何か始まるかもしれない」と思ってしまう。 たとえ実感がなくても、たとえ気持ちが追いついていなくても。 季節が変わるという事実だけは、静かに背中を押してくれている気がする。

今年の春は、どんな春になるのだろう。 大きな変化はなくてもいい。 ほんの少し、自分の気持ちが前に進めば、それだけで十分なのかもしれない。

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