夏に枯れた庭に秋は来る? ― 焼けた鉢植えと復活する花の物語

夏に枯れた庭と、秋に向けて復活する鉢植えや薔薇のイメージ写真 夏に枯れた庭と、秋に向けて復活する鉢植えや薔薇のイメージ写真 写真とことば
焼けた庭に訪れる秋の気配. 焼けた庭に訪れる秋の気配The touch of autumn arriving in a sun-scorched garden

今日はお彼岸。秋分の日である。太陽の日照が昼と夜と丁度半分の日。これからは、冬至までどんどん夜の方が長くなるということですね。
少し前にも書きましたが、年々暑い夏が来て、まさに灼熱のような陽がさす毎日ですが、今年は本当に暑い夏だったと思います。

私の家の小さな庭にも、少しの植木や鉢植えがありますが、今年に関してはもう完全に灼熱地獄と化した庭は、鉢植えなどはほぼ全滅になってしまいました。それこそ、夕方の陽が沈むことに水遣りをしないと、上げた水が沸騰して植物が枯れてしまいます。本当にその扱いに注意が必要だったと思いました。植木は土の中深いところで水を吸収するようなので、そこまで被害は少なかったですが、それでも葉はあまり元気がよいとは言えないのではと思うほどの陽気だったと思います。生きるもの全て、植物も動物も太陽の気分次第でその運命が変わるんだなぁ~としみじみ感じるところです。

夏の暑さで枯れた鉢植えと、新芽を伸ばす秋の薔薇が並ぶ庭の風景
A garden scene with a withered potted plant beside a rose sprouting fresh buds in autumn
夏に焼けた庭にも、新しい季節の息吹が訪れている。

それでも、植物の強さというのは、動物よりも凄いと思うのが、例えこの灼熱地獄のような天気であっても、雑草などはどこ吹く風と思うほど普段通りに、グングン育ってくるし、しばらく雨が降らなくても、地中の水分を汲み上げて普通に育ちます。植木などはその最たるもので、おそらく自分が植えられているところの数十倍の広さに根を伸ばし、地中では、どれだけ根を広げているのかも想像できないほどだろうと思いますね。だから、根を深く貼るような植物は、地震対策にもなるという風に言われるのでしょう。そんな感じでこの暑い夏も平気で乗り越えていきました。

そして、今日少し庭を眺めていると、どれもグングンと新しい枝を伸ばしているし、葉もかなり広がって少しずつ枯れたり、色が変わってきたりと、秋になってきたなと感じさせられました。これからの楽しみは、あと1か月もすると秋の薔薇が咲き乱れるようになるし、紅葉する葉もきれいに染まることでしょう。こういうのを感じると、日本人に生まれてよかったなとしみじみ思います。

今年の夏を思い返すと、特に鉢植えの花たちが気の毒でした。毎年、小さな鉢で元気に咲いていたペチュニアやインパチェンスは、7月の時点でほとんど力尽きてしまいました。朝に水をあげても昼には土が乾いてしまい、夕方にはしなびている。その繰り返しでした。水を注ぐと、一瞬だけ花がしゃんとするのですが、翌朝にはまたぐったりと力を失っている。その様子を見るたびに、「ああ、今年の暑さは尋常じゃない」と思い知らされたのです。人間なら涼しい部屋に逃げ込むこともできるけれど、鉢の中にいる花たちは、与えられた環境で必死に生き抜くしかない。守ってやれなかった悔しさと同時に、自然の厳しさを突きつけられたようで、少し胸が痛みました。

その一方で、庭の片隅では思いがけない生命の力強さも感じました。ふと気がつくと、どこから飛んできたのかわからない雑草が、小さな花を咲かせていました。真夏の直射日光にも負けず、アスファルトの隙間からも芽を出している姿に、驚かされました。人の手をかけられていないのに、どうしてこんなに逞しいのかと感心するばかりです。枯れてしまった鉢植えと並んで咲いているその姿は、同じ夏を越えたのに結果がまるで違う。けれどそれもまた自然の姿であり、選ばれる強さ、そして与えられた環境に適応できるかどうかの差なのかもしれません。

夕方、少し涼しい風が吹き始めると、庭の空気がほんのり変わったのを感じました。耳を澄ませば、どこからともなく秋の虫の声が聞こえてきます。ついこの間まで、蝉の大合唱にかき消されていたのに、今ではか細い鈴の音のような虫の声が主役になっている。匂いも変わりました。土の香りに、どこか冷たさを含んだ湿り気が混じっている。焼け付くような夏の匂いが去り、秋の夜の匂いが広がっているのです。こういう五感で感じる小さな変化が、季節の移ろいを一番強く教えてくれるのかもしれません。

私の庭に植えてある薔薇も、夏の暑さで一度は花を失いましたが、枝の先から新芽がいくつも伸びています。小さな蕾も顔を出し始めていて、これからの季節に向けて準備をしているのがわかります。秋薔薇は、春に比べると数は少ないけれど、その分一輪一輪が色濃く、深い香りをまといます。夏を耐え抜いたあとに咲くからこそ、その姿がより美しく見えるのかもしれません。私はその薔薇を楽しみに、毎日庭を眺めているのです。

秋が深まると、紅葉も始まります。庭の小さなモミジの葉も、少しずつ縁から赤みを帯びてきました。これから徐々に鮮やかさを増し、やがて庭を彩ってくれるでしょう。落ち葉を掃くのは少し大変ですが、それもまた秋ならではの風物詩。四季がある日本に生まれたことの豊かさを、こういう瞬間に改めて感じます。

季節が変わっていく庭を見ていると、まるで自分自身の時間の流れを重ね合わせているような気持ちになります。暑さに耐えきれず倒れてしまった花は、これまでの自分の弱さや失敗を映しているようでもあり、力強く根を張って新しい枝を伸ばしている植木は、再び前に進もうとする自分の姿に重なります。庭に立つと、ただの植物の変化ではなく、自分の中の小さな変化まで見えてくるようで、不思議と心が落ち着くのです。

やがて冬が訪れれば、庭は再び静けさに包まれます。けれどその中にも次の春に向けた命の準備が進んでいる。そう考えると、今の庭の姿もまた、次の季節へ向けた大切な一歩なのだと思えます。焼けつくような夏を乗り越えてこそ、秋の美しさはより鮮やかに映る。そんなことを思いながら、今日の庭を眺めていました。

🔗 あわせて読みたい記事

静けさを撮る ― 僕と夜の対話
夜の光と影が織りなす静寂を、写真とことばで綴った記事。

雨と紫陽花 ― 静けさの中に咲く色
梅雨の雨に包まれた紫陽花を通して、心の静けさを描いた一編。


Reviving the Autumn Garden — Finding Hope After the Scorching Summer

Today is the autumn equinox. The day when daylight and night share the sky equally. From here until the winter solstice, the nights will gradually grow longer.

I wrote not long ago about how each year the summer heat feels more intense, and this year was no exception—it truly was a scorching, relentless summer.

In my small home garden, I keep a few potted plants and trees, but this year the garden turned into a furnace. The potted plants, especially, were almost completely wiped out. If I didn’t water them after sunset, the water itself would heat up and “boil” the plants to death. The care they required this summer was unlike any I’ve known before.

夏の暑さで枯れた鉢植えと、新芽を伸ばす秋の薔薇が並ぶ庭の風景
A garden scene with a withered potted plant beside a rose sprouting fresh buds in autumn.
A garden scene with a withered potted plant beside a rose sprouting fresh buds in autumn.

The trees, drawing water from deep in the soil, managed to survive, but even their leaves looked far from vibrant. It made me realize once again how every living being—plants and animals alike—has its fate tied to the whims of the sun.

Still, plants amaze me with their resilience. Even under burning skies, weeds grow steadily, as if nothing had changed. They draw on underground reserves, surviving long stretches without rain. Trees do this on a much greater scale, likely spreading their roots far wider than their visible footprint, digging deep in ways we can only imagine. Perhaps that’s why people say deep-rooted trees help stabilize the ground during earthquakes. Somehow, even this cruel summer was no match for their silent endurance.

This morning, while looking around the garden, I noticed new shoots reaching upward, leaves expanding despite the wear of summer. Some were beginning to wither or change color, signaling autumn’s arrival. Soon enough, in another month, the autumn roses will bloom, and the leaves will turn brilliant shades of red and gold. It’s in moments like these that I feel glad to have been born in Japan, where seasonal change paints life with such vivid contrasts.


Though the plants looked battered, they are not defeated. Even after being burned by the fierce sun, they stretch their branches toward the future. Watching this persistence makes me think of resilience in human life, too. We endure scorching trials, only to sprout again when the seasons shift.

The garden, once a symbol of struggle against heat, now whispers promises of color and renewal. It reminds me that endings are never truly the end—summer’s harshness transforms into autumn’s gentleness, just as exhaustion can transform into quiet strength.

The roses waiting to bloom, the trees preparing to dress in autumn hues—all of it tells me that life persists, adapts, and finds ways to be beautiful again.


That was my reflection today, on this autumn equinox: standing in a garden once scorched, now slowly healing, waiting for autumn to fill it with new light.

🔗Related Articles

Capturing Silence — My Dialogue with the Night
An essay of night photography that reflects on silence and inner emotions.

Rain and Hydrangeas — Colors Blooming in the Silence
A piece capturing the quiet beauty of hydrangeas under the rainy season.

コメント

タイトルとURLをコピーしました